さすらう(主に下半身が)

東南アジア旅行での(主にえっちな)体験談です。

生中出しの歴史(1)初めての生中出し パタヤ・ウォーキングストリートのロリGOGO嬢に生中出しした思い出

ぺこです。

 

当時は、私も、パタヤに到着するや、部屋にあるビールを飲み、これからの出来事に胸を躍らせながら、着替えをして、それなりに格好をつけ、18時ともなるとウォーキングストリートに繰り出す、ということをしておりました。

 

今では、もうウォーキングストリートには近寄りません。

 

バービア巡りだけを楽しみとしております。

 

さて、そんなパタヤ・ウォーキングストリート全盛当時の話です。

 

ウォーキングストリートの入り口近くに、「自分たちのバーは、他とは違う、だからショート3000バーツだ」と公言する店がございました。今でこそ、ショート3000バーツという店も珍しくないのでしょうが、当時は、3000といえばロングの値段でしたので、私も少し驚いた、と言いたいところですが、泥酔していた私は、値切るどころか、「それならばロングで連れ出してやる」と、そのロリロリっとした黒髪の子とその連れに言い放ったのでした。

 

交渉役と思しき連れの子は店に置いて、私は、全身をキティちゃんのグッズで覆った黒髪ロリータ・オーイ(自称18・推定16歳)と、意気揚々としてホテルに帰ったのでした。

 

オーイは、年齢の割にはスレてしまっているのでしょう。

私との行為の最中に友達と電話する、という芸当を始めました。

 

私は憤慨するどころか、珍しいプレイでもしているように興奮し、腰を打ち付ける強弱によって、微かに震えるオーイの声を楽しんでおりました。

 

ゆっくり突くと、オーイは余裕の表情で、電話口の友達と談笑し、せせら笑うようにしております。私のことを話しているのかも知れませんし、「いま仕事中」というようなことを言っているのかも知れません。

 

強めに突くと、オーイは少し眉根を寄せて、切なそうな表情になり、それでも健気に電話で話し続けます。

 

電話口の相手に気取られないようにしているのか、それとも、電話口の相手も毎度のことで、楽しんでいるのかもわかりません。

 

今覚えば、そういう趣向のアダルトビデオもあるくらいですから、頼んでもいないのに、そうしたプレイをしてくれるとは、僥倖です。

 

いずれにせよ、私の方もそれを楽しんでいたことには違いなく、電話しているオーイに向けて、わざと大きめの声で、「いく、いくよ!」と言うと、私はオーイの膣内に射精して、小さな身体の上に崩れ落ちました。

 

とは言っても、1回目はまだゴム製品を着用していたのです。

 

明くる朝、オーイのキティちゃんグッズにまつわる話を聞きながら、私たちはベッドに横たわっていました。

 

オーイのキティちゃんグッズ統一は徹底しており、頼んでもいないのに自室の写真を見せてくるのですが、トイレの便座カバーに至るまでがキティちゃんグッズで統一されており、独特の「キッティ」というイントネーションが可愛らしく、だんだん私は、朝日の中で見るオーイの顔面が、昨夜とは別人のようであるにも関わらず、愚息が硬直していくのを感じたのでした。

 

 

 

そして、ふざけながら、オーイの上に覆い被さりました。

(ダジャレではありません)

 

そして、何の気なしに、オーイの股間の周りや、腹の上に屹立した愚息を擦り付けていたのです。

 

当時私は、風俗嬢と生でやるなどということは、想像すらしておりませんでした。

 

しかし、何かの拍子に、オーイの中に入ってしまった私は、無我夢中で突きまくり、そして、オーイの膣奥深くに、夜明けの精を放ったのです。

 

この時も、オーイは、普通に突くと、なにやら挑発的な目で、こちらをガン見してきます。

 

そして、こちらが強く突くと、切なそうな表情になるのです。

 

この繰り返しの中で、私は、睾丸から精液がせり上がってくるのを感じ、そして、「なんということをしているんだ」という意識は1割で、残りの9割を快感に支配された痺れた脳髄のまま、生意気なオーイの生膣の中に、大量の精液を放ったのです。

 

わたしが射精し終えると、オーイは、それを感じ、「アナタ、イクデス」と、時制の間違った日本語を駆使して、わたしの鼻の頭に、可愛く人差し指を当ててきました。

 

数年経った今でも鮮明に覚えておる、わたしの初生中出し体験です。

 

このようにして、わたしは、今に至るまで連綿と続く、東南アジアにおける生中出しの世界にはまっていったのです。